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  2015年夏、安保法案反対を訴え10万人規模のデモの中心的存在になり、今も7月10日の参院選に向けて投票の呼びかけを続けているSEALDs(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)。その創設メンバーの奥田愛基さんが初の著書『変える』(河出書房新社)で壮絶な過去からSEALDs解散までを綴っている。いじめ、不登校、自殺未遂と、いくつもの絶望を経験してきた彼はなぜ「生きる」ことを選んだのか? インタビュー前編ではその生い立ちと彼に影響を与えた本の読書遍歴に迫る。

■自分の過去を振り返って活字にしていく作業はかなりしんどかった

――『変える』を書こうと思った理由からお聞かせください。

奥田愛基さん(以下、奥田) 最初は「14歳のための政治学」みたいな、自分よりちょっと年下の子どもたちに向けた、政治への関わり方を考えるような本を書きたいと思っていたんです。そこでまず、なぜデモや政治的なものに関わりはじめたか、という自分の過去のことを書きはじめたらそっちの比重が高くなってしまった。

 でも編集の方も「1冊目の本だからまずは奥田さんにしか書けないことを書いたほうがいい」と言ってくれたのでそのまま絞りだすような気持ちで書き進めました。今でもちょっと恥ずかしいんですけど。

 去年の中学生の自殺者数が過去最多の102人になったというニュースも(※) 、中学生当時の苦しかった自分のことをちゃんと書かないといけないと思った理由のひとつです。日本人の自殺率は減っているのに中学生の自殺は増えている。本にも書きましたが、自分も不登校だったとき、苦しくてしんどくて、あのとき死んでしまっていたとしてもまったくおかしくなかった。

 そういう僕自身の経験を書かずに、ただ政治の話をストレートに書いたところで、「どうせ恵まれた大学生が書いた話でしょ」って思われるのもちょっと違うなって思って。ただ改めて自分の過去を振り返って活字にしていく作業はかなりしんどかったです。

10年、20年の人生を限られた字数で書かなきゃいけないのに気持ちがついていかなかったというか。いじめられて部屋から一歩も出られなかった自分が、国会内外でスピーチをしている状況が不思議ですね。

■ホームレスを見て見ぬふりする世の中と、見て見ぬふりできない自分の家庭

――ご実家はキリスト教の教会で、牧師のお父様はホームレスや未成年の自立支援をずっと続けている方です。ご自宅にもそういった“家族”が常に寝泊まりしていて一緒にごはんを食べたりする環境をどう思っていましたか?

奥田 当時はあんまり特別だとは思ってなくて、父親がやってる仕事もほかの人と大きく違っているとは思わなかったです。ただ今日出会った人が次の日に死んじゃうとか、父親が助けたかった人の葬式に一緒に行かなきゃいけないとか日常的にあるので、人ってこんなに簡単に死ぬんだって思いました。

 そういう現実を知るとやっぱり、食べるものがない人がいればごはん を差し出したいって思うし、泊まるところなければうちに来ればいいじゃんって思う。今は笑い話のように「家にマザー・テレサがいるとうざかった」とか言ってますけど、当時はそういう環境が当たり前だと思っていました。

――奥田さんの原点はそこでしょうか。

奥田 誰でもそうだと思いますが、父親の影響は免れないかもしれません。ホームレスが路上にいても見て見ぬふりする世の中と、見て見ぬふりできない自分の家庭。中学にあがった頃からそのギャップを感じはじめました。「これ自分で実際にやるのはムリ、絶対ムリ。何やっても誰かがどこかで死んでいくし、うちで数千人のホームレスをみることはできないし」って。

 社会に対する思いも同じで、路上で「貧困で困っている子どもたちのために募金をお願いしまーす!」とか叫んでる人に、「じゃあ、あなたたちがその子どもたちを引き取れますか?」って言ったら「それは無理でしょ」ってなりますよね。

 父親のことは尊敬してるけど、自分はああはなれない、そんな器用じゃない。でも自分が飯食って布団で寝ているとき、飯も食えず布団に寝ることもできない人がたくさんいる現実は自覚している。そういう中学時代はすごくしんどかったです。

■「そうか、逃げるという手もあるのか」と気がついて沖縄に転校

――そんななか、奥田さん自身がいじめに遭ってかなり深刻な状況に陥っていきます。今 はだいぶ客観視できるようになりましたか。

奥田 うーん、平べったくはまだ客観視できないですけど、本当にしんどいことって記憶からスコーンって抜け落ちたりするので、時間とかいろんな距離感ができたこともあってあのときの自分に向き合えたんだと思います。主観的には絶対にあのときの自分には戻れないし、そうなったら多分生きてられないですね。

――絶望の淵から救ってくれたのは、ふらっと自宅に来てくれた友人やたまたま目にした鴻上尚史さんの言葉で、どれも自分から求めたわけでなく偶発的に起きた ことばかりですね。

奥田 ほんとすべて偶然です。なにか決定的な瞬間があったから自殺を踏みとどまったわけじゃなくて、いろんな偶然が積み重なって流れるように時間が進んでいっただけで。

 でも人間ってそういうもんなんじゃないかな。友だちと明け方まで遊んで『木更津キャッツアイ』や『池袋ウエストゲートパーク』について語り明かしたりしているうちに気がついたら学校に行けるようになったり。

 鴻上尚史さんの新聞連載の「いじめられている君へ」ってタイトルを見たときは「超上から目線でウザい」って思ったんですけど、あのメッセージに誘発されて「そういう手もあるのか」って沖縄行きを決めましたから。

「いじめられてる君へ

 あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。

だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれません」―劇作家・鴻上尚史さんの朝日新聞の連載より

 この言葉を目にしなかったら今頃どうなってたかわかりません。西鉄バスジャック事件のネオ麦茶や黒子のバスケ事件の犯人みたいに、どうせ死んじゃうんだから人殺しちゃおうっていう気持ちになるのもわかるし、自分だってそうなっていたかもしれない。

 僕のことを「確固たる意思 を持った強いメッセージを発信している人」みたいに言う人もいますけど、そんな人間じゃないですよ。死んでてもおかしくないし、一歩間違えたらネトウヨとか引きこもりニートとか十分ありえたと思う。中学時代の自分が今の自分を見たらウザいだろうともいまだに思ってます。

――中2で沖縄の鳩間島に転校していじめから解放されて、海で毎日遊ぶような生活をしているなかで自殺未遂してしまいますね。あれはショックでした。

奥田 そんなに簡単に人は変われないです。学校に行って勉強するだけでかなり進歩したけど、小さな島の狭いコミュニティのなかで生きていくのもそれなりに大変でしんどかったので。

――その時期むさぼるように本を読んでますね。森絵都、伊坂幸太郎、夏目漱石、太宰治、宮澤賢治……。読書で生きるためのバランスをとっているように見えました。

奥田 年間百数十冊は読んでました。図書館にあるものを片っ端から手にとって『リング』文庫版とかまで読んだ(笑)。太宰の『人間失格』を読んだときは1週間ぐらいボーッとして、何やってても見透かされてるような気がしました。自分では普通の人になろうとしてるんだけど、「どこまで行ってもお前は普通にはなれないよね」って言われているような絶望感、劣等感をものすごく感じてた。

 一方で、金城一紀の『GO』、石田衣良の『4TEEN』、白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』とかの面白い小説も好きで、100%共感はしなくても早く帰ってあの続きを読まなきゃみたいな、そういうところに救われた部分はあります。繰り返し読んだ『GO』に出てくる「広い世界を見ろ。あとは自分で決めろ」っていう言葉とか素直に「ああ、そうかもな」って思えました。

取材・文=樺山美夏